既報:
キリスト教/東方正教会アレクサンドリア総主教庁のジンバブエ府主教セラフィム座下が、女性輔祭を叙聖(2024年5月)
上記の出来事に関して、 Romfea.gr によると(あるいは他に同様な報道をしているところによると)、府主教個人のFacebook アカウント(ギリシャ語で検索しても見つかりませんでした)でのコメントらしいのですが、キリスト教/東方正教会/コンスタンティノープルのイコニウム府主教セオレプトス座下(リカオニア全土における首座代行 : His Eminence Metropolitan Theoleptos of Iconium, Exarch of All Lycaonia)が、この叙聖を屈辱と述べ、猛批判した、というような報道が出ています。
同・府主教は、バルソロメオス総主教や(次期総主教の有力候補である)エルピドフォロス大主教に近いと見られていますが、一方、以前の人事でコンスタンティノープルの中枢からは外されているとみる向きもあり、今回の私見がどの程度コンスタンティノープルを代表している感覚なのかはわかりません(そもそも該当アカウントを発見できていませんが……)。
(ギリシャ語)Ικονίου Θεόληπτος: «Η χειροτονία αυτή είναι εξευτελισμός»
Romfea.gr – Romfaia.gr | Facebook
一方、セオレプトス府主教のこの屈辱という見解に対しても、反論などが述べられており、
ジンバブエ府主教区から:
The Metropolis of Zimbabwe offers insight into the Ordination of Deaconess Angeliki | Orthodox Times (en)
そしてもう一つ。
(ギリシャ語)Απάντηση στον Μητροπολίτη Ικονίου Θεόληπτο – ΕΚΚΛΗΣΙΑ ONLINE
こちらのほうは、アテネ大学の教授が述べているようなのですが、セオレプトス府主教を嘲笑するような内容にしか受け取れません。
そもそも、古代の Deaconess の役割についても議論があるわけです。一番厳しい見方は、アレクサンドリアがおこなったことは古代にあったことの再現ではなく、別のことをおこなっている、すなわち単なる異端な行為であるとする立場です(当方にはその是非は判別できませんが)。この立場をとる人々は、東方正教会の教会法上合法な教会の中に、アレクサンドリア総主教庁はもはや存在しない、ということになるでしょう(アレクサンドリアは引く気がまったくなさそうなので)。
Deaconess に(東方正教会の中で)賛成している人々は、古代の Deaconess は、明確に廃止されたものではないため、今回の件は、教えとして問題はない、というようなことが(古代と絡める議論に関しては)だいたいの認識のようです。
セオレプトス府主教(一番上にリンクした記事の文章)は、古代の例について、アレクサンドリアが今回やったことと同じとみたうえで、もう必要がないままずっと来ているものを、雑に唐突におこなうのは無価値で屈辱としているようで、これを一貫性がある認識と受け取れるかどうかは人によると思います。
なお、カトリックのローマ教皇フランシスコ聖下は古代の例は現代の議論とは関係ないとしています(詳細まで確認していませんが)。
カトリックでは、 Deaconess に関する検討を進める委員会(?)があるはずで、そちらの検討がどうなるかによるでしょうか。
いずれにせよ、セオレプトス府主教の見解とされるものが、本当に正式な府主教の見解なのかがまず問われたうえで(なにせ個人のアカウントで、記事からリンクもされていないので)、コンスタンティノープルとしてなにか見解を出すのかどうかというのが、次の注目になるでしょうか。